ミスター・ガラスを観た。
先週の月曜日、だったか。
男4人で『ミスター・ガラス』を観に行った。
まず、抱いた感想は「タイトルだっさ……」。
正確に言えば、邦題がダサかった。
本来は『GLASS』であり、英単語一語にダサいもクソも無いのだが、せめて『ミスター・グラス』にしてくれよ、という感じだ。
まぁそんなありがちなダサい翻訳は置いといて、内容だが。
予め言っておくと、私は普段洋画を観ないので、有名な俳優などブラピとかウィル・スミスとかくらいしか知らない。映画監督などもってのほかだ。そもそも邦画でも須藤友徳くらいしか知らない。
そんな私だからこそ、色々とフラットな目線で観れたかもしれない。
と、下手な予防線を張っておこう。
ただ、シリーズ物の映画を前作を観ずに観賞する、というのはあまりに無作法だった。
この作品は『アンブレイカブル』・『スプリット』という映画の続編なようで、その程度は下調べして観に行ったのだが。
……まぁ明らかに前作を観てからの方が面白かったと思う。
物語の概要なんてのは私なんかが書いてもしょうがないというか、もっとしっかりとしたところを参照してもらいたいのだが、一言で言えば「ヒーロー世界という概念を作り出す物語」、だ。
超人的な能力を持つ主人公たちと、それを精神病だと断定し治療を行うという構図。
どちらかと言えばそこから導き出されるカタルシスは「精神病なんかじゃねぇ!!」と医者を跳ね飛ばして社会で変わらず猛威を振るう姿だなぁ、と勝手に思いながら観ていたのだが、展開はその予想の斜め上を行った。
実は超能力は本当に精神病のようなもので、思い込みによって現出しているものだった。
そして医者はアンチ超能力で超能力という存在を抹消したがっていた。
そしてメイン主人公であるガラス君は全世界の能力のトリガーを引く為に策略を巡らせていた。
つまり、元々世界は狂っていたのだ。
狂っていたというか、そもそもファンタジーだった。
「俺はできる」と思うだけでなんかできちゃう世界らしい。
なんだそりゃ、と思ったが予想は裏切られ続けたし色々とドキドキハラハラする展開だったので良しとしよう。
ただ、個人的な情緒を振り返ると。
私はカタルシスを求める存在であって、それを得られるのであれば善悪関係なく応援しちゃうなあ、という。
そもそもこの映画においてどちらが善でどちらが悪なのかという問題は非常に難しい。
あまりにも観念が多元化していて、正しい正しくないでは語れないのだ。
ただ、やはり主観化されていたのは終始ヒーローという異常者側だった。
非日常なヒーロー側のバイアスをかけられ続けたこの映画の中の真の価値観、というのは実はとても測りづらいものなのかもしれない。
要は「本当に現実世界にヒーローは必要か」という話だ。
何というか、一度観ただけでは消化しきれない映画だと思う。
面白いかと聞かれれば「面白い」と答えるが、それ以上の意義、というのを見出しやすい映画でもあった。
ただ別に観るのはネットフリックスに上がってからでもいいと思う。
以上。